学校と武道を合わせ鏡にして過ごした日々

光輪洞合氣道 7段 師範 浜松道場
(元浜松市立小学校長) 杉森 敏幸


令和2年3月末、38年間の教職生活を終え、定年退職を迎えた。この間、多忙な教職生活の隙間を縫うようにして、地域の子供たちや若者、一般人の方々に光輪洞合氣道を指導してきて今年で33年目を迎えた。10年以上前に「師範」となり、7段位の免状をいただいている。私は小学校に勤務してきたので学校での教え子の数は言うまでもないが、武道の教え子も延べ人数で既に700人を超えた。

振り返ると教職生活38年間、学校での経験を武道の指導に生かし、武道の指導を学校での指導に生かすという二つの経験をあたかも合わせ鏡のようにして、子供たちと向き合ってきたように思う。
 学校と稽古で大きく異なるのは、学校は登校するのが前提であるが、稽古は自分から通わなければならない。稽古は途中でやめることができるのである。学ぶことにおいてどちらも大切なのは、もう少しやってみたいという思いと、楽しいという思いを学び手に実感させることである。やる気にさせていかにして伸ばすか。ここが指導者の腕の見せどころである。学び手には学ぶ魅力をもたせるようにしたいといつも考えている。魔法の言葉で認め励ますことを通して、その気にさせてさらに伸ばしていく方策を学校・稽古ともに絶えず追究してきた。
 そして、稽古を続けてきてつくづく思うことは、本当の敵は外にあるのではなく、自分の心の中にあるのではないかということである。上達してくると、大きな力を使わなくても相手を倒せるし、相手より速く動くことができるようになる。
 しかし、相手を痛めつけてやろうなどと思う心が少しでもあると、力と力がぶつかり合いうまくいかなくなる。最もコントロールすることが難しいのが、自分の心のコントロールである。


【静岡新聞 R元.10.3 朝刊】
 令和元年度は長かった教職生活の最後の年となった。2学期に行った全校朝会では、「退職校長が子供たちへ最後に語る言葉シリーズ」として、子供たちに「真剣とはどういうことか」について校長講話をする機会があった。光輪洞合氣道における抜刀の型を五本程度演武した後、刀を抜いて鞘に納めるまでの心の持ち方について大切なことを静かに語りかけた。
 居合刀を真剣に持ち替えて稽古をするとき、刀を鞘に納める際に手元を見るような稽古をしてはいけない。「真剣」とは、いつも居合刀を切れ味の鋭い真剣のつもりで稽古を重ねることであり、ここにいたって本物の真剣さが出てくる。学校生活や日常生活の中での「真剣さ」とは、やるべきことに油断なく取り組むことであり、そこには決して怠け心があってはならない。

 私の教職生活は定年退職をもって終了したが、武道の指導はまだまだ続く。これからも「本当の強さとは、自分の心に勝つことであり、それは柔らかさの中にある」を合言葉にして、光輪洞合氣道の極意である腰回しを門弟の皆さんとともにこれからも研究していきたい。            (令和2年3月吉日)

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